明治6年10月5日
(西暦1873年)
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「宝珠院」を仮の校舎として、「広教舎」という名前の学校をつくった。 |
明治8年10月 |
「広教舎」を今の広沢町6丁目の東方寺に移して本校とし(東校)、他に2つの分校をつくった。 |
明治13年7月 |
分校2つを合わせて、西学校とした。 |
明治17年6月 |
東西の学校を合わせて、広沢小学校とし、宝珠院を仮校舎とした。 |
明治18年11月
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東沢寺のところにあった教場を合併して、「広沢尋常小学校」という名前にした。 |
明治22年10月 |
別のところに新しい校舎を建てた。 |
明治35年4月 |
尋常小学校を出た後に行ける「高等小学校」を一緒において、「広沢尋常高等小学校」という名前にした。 |
<大正のころ |
新しく変えられたことは、ほとんどなかった。> |
昭和11年11月 |
今の場所に新しい校舎を立てて移った。校地はとても広く、3万平方メ-トル以上もあった。 |
昭和12年4月 |
広沢村が桐生市に合併して広沢町になり、学校の名前が「桐生市広沢尋常高等小学校」となった。 |
昭和16年4月 |
「桐生市広沢国民学校」という名前になった。 |
昭和22年4月 |
今の「桐生市立広沢小学校」という名前になった。 |
昭和25年7月 |
校地を分けて、南側に広沢中学校をつくった。 |
昭和29年8月 |
25メ-トル、6コ-スのプ-ルができた。 |
昭和32年4月 |
桐生市立桜木小学校ができ、広沢町1、2丁目の子供たちが別れることになった。 |
昭和39年7月 |
校歌が作られた。 |
昭和48年8月 |
今の鉄筋コンクリ-トの校舎と体育館ができた。 |
昭和54年4月 |
桐生市立神明小学校ができ、広沢町3丁目の一部の子供たちが別れることになった。 |
昭和55年4月 |
文部省と桐生市教育委員会から「むし歯予防推進指定校」の指定を受けた。 |
昭和56年11月 |
「むし歯予防推進指定校」の公開研究会を行った。 |
昭和56、57年 |
群馬県健康優良学校として、表彰された。 |
昭和60年8月 |
硬質ゴムだった体育館の床を木に改修した。 |
昭和62年秋 |
郷土資料室を設けた。体育館北側に、「広心庭」が作られた。 |
昭和63年1~3月 |
校庭を改修した。 |
昭和63年4月 |
桐生市教育委員会から「国際理解教育実践推進校」の指定を受けた。 |
平成元年11月 |
「国際理解教育実践推進校」の公開発表を行った。 |
平成3年 |
「築山岩石園」が整備された。 |
平成4、5年 |
油絵、日本画が寄贈され、学校美術館が設置された。 |
平成7年2月 |
6年生児童奉仕活動により、「水生公園」が整備された。 |
平成8年10月 |
校庭遊具が整備された。 |
平成9年8月 |
放課後児童会室「なかよしクラブ」が、校舎内に設置された。 |
平成10年8月 |
コンピュ-タ室が設置された。 |
平成12年4月 |
算数のティーム・ティーチング授業を始めた。(4年生、後に3年生も) |
平成13年5月 |
朝の読書を始めた。 |
平成14年4月 |
小学校国際理解教育協力補助員が配置され、英会話に親しむ授業が行われることになった。 |
平成15年4月 |
第21期社会福祉協力校(~平成17年度)となった。 |
平成16年4月 |
国語・算数で、きめ細やかな指導を開始した。 |
平成17年11月 |
桐生ライオンズクラブより防犯カメラ寄贈、設置した。 |
平成18年4月 |
県教育委員会指定により平成18・19年「健康教育総合推進事業」の実践研究を行った。 |
平成19年11月 |
県教育委員会指定 広沢地区「健康教育総合推進事業」研究発表を行った。 |
平成20年7月 |
耐震改修工事及び大規模改修工事開始(~平成21年3月) |
平成20年11月 |
県教育委員会より健康推進学校の優秀校として表彰される。 |
平成21年2月 |
各教室に、加湿器を設置した。 |
平成21年4月 |
1・2年生30人学級、3・4年生35人学級を開始した。 |
平成21年5月 |
自動体外式除細動器(AED)を設置した。 |
平成21年7月 |
携帯メールネットワークの構築、及び運用を開始した。 |
平成22年1月 |
築山の整備を行った。 |
平成22年3月 |
コンピュータLANを設置した。各教室にデジタルテレビを設置した。 |
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